格闘記

29日、マーラーの本番が終わりました。苦しい苦しい1週間でした。声帯は改善してきていると言われても、どう歌っていいか、どう体を使えばいいか、全ての糸が絡まって出口が見えない苦しさ。そんな状態では歌えない大曲。真の精神力と集中力がいる作品。体の軸、支え、共鳴、声の響き・・・。色々考えるけど、どうも体が繋がってこない。そうなるとピッチが決まらないし、音がぶれてくる。暗譜の怖さはいつもあるけれど、こんなに声を出すことに恐怖心があるのは何年ぶりだろう。

 

2日前のワークショップでは、とにかくピッチを正確に取ろうと、音程を全曲頭に叩き込んで挑戦。でもその実践も虚しく、ピッチが低い!と一掃されてしまった。ほかの人の歌う様子を観察してその晩は対策を練ってみる。

 

1日前のワークショップは、歌うポジションが低いことに気が付いて、共鳴の場所に注目。前日よりピッチは安定してきたが、録音を聴いてみると全ての歌いだしが遅い。遅れて入っている。要は歌う怖さがどこか脳にあり弱い自分がいる。前へ出る勇気がいる。または、ポジションに入れようとすることでタイムロスが出来ていると認識。そういえばピアニストから、歌いだし前の息のタイミングがギリギリの気がすると言われていた。そうか=。ということは、歌う点を共鳴体ではなく、体の前に持ってこなくてはいけない・・・。そうそう、以前他の先生にも、点で歌う・・を言われていた。今度はひたすら、外から息を寄せてくるように前の点で合わす・・・。ウン!これで本番行ってみよう!と決めた。うまくいくと、体の軸と支えがきゅっと引っ張られて自然に伸びる感覚が生まれてたので。

その方向性が決まると、妙に心臓がパクパクなるドキドキ感はなくなった。この感覚に入れるとうまく出来る!と自分に言い聞かす。

 

本番当日、結構冷静な私がいた。妙にソワソワすることなく、緊張もなかった。

ゲネ。ステージリハ。調子がいい時は、舞台で歌った時に、声が後部座席で鳴っているのを感じられる。しかしこの日はそれを感じない。声はまだ本調子ではない。2日前のワークショップで、先生にそれでは声が後ろまで届かない・・といわれたことを思い出し、今回はピアノからかなり前の立ち位置にする。ひたすら、後ろを感じないで、前へ前へ、そして究極はパルスを外さないこと。

 

リハが終ると、一人外に食事に行った。西宮北口のガーデンパレスで一人ゆっくり食事をして、録音を聴いた。

は~、あかんなあ。前へ押しすぎだわ。後ろに声が回っていない。さあ、どうするか~~~。考えを巡らす。

直前の楽屋での声出しも、あまり声が乗ってこず途中で切り上げ。もう、ジタバタしてもしゃあないなあ。とにかく、呼吸。そして、前へ押し出すのではなく、そこに声があるのを楽しもう。自分の体の広がりを感じよう・・・、と迎えた本番。

 

不思議となんの緊張もなく、横隔膜はよく動いてくれて、歌いだしの息もよく入った。あっ!この感覚やね!横隔膜を広げればいいんだ。今まで、その横隔膜が動かなかった。肩の腱板損傷をして関節包炎で脇が痛かった。腕も上げられなかった。背中も固くなっていた。横隔膜を横へと一杯広げて息を入れると左も広がる。これだわ~!この広がりをキープすると、直腸筋は伸びるし、軸は安定する。そして呼吸筋の伸縮を切らさず、体を全開に使って、歌い進んでいく。感情に溺れることなく、淡々とパルスを感じて、力むことなく、非常に頭は鮮明で進めた。

なんの緊張もなく、呼吸に余裕が出来てくると、単語にも意識が生まれてきた。

終曲、最後のページ「Ich Leb allein   in meinem Himmel, in meinem Lieben  ,in meinem Lied」では、目がじんと熱くなってきた。

長いピアノの後奏では涙が溢れそうになってきた。

5曲25分以上、歌い切った!

 

私は、本番で学んだ。人間の体、そして歌うということ。先生からのメールコメント、「声の可能性をみせてもらった」と。

翌日、今度は12/15のラヴェル・シェエラザードのレッスンに行く。体は疲れ切っているのに、声は以前のようになんの不安もなく出るようになっていた。私は本番で声のリハビリができたのだと思う。脳が行くべき方向を探し当ててくれたように思う。この本番がなければ、この先難破船のように荒波を漂って、そのうち深い海に沈んでしまっていたかもしれない。まだまだ歌っていけると、自分に自信が出た。